タブラの歴史
タブラのお祖父さんにあたる太鼓をパカワジュと言います。それは両面を叩けるようになった樽のような太鼓で、小さい方の面が高音用、大きい方の面が低音用となっています。(演奏する度に、ゴブ(スやヒ)と言う練り粉が、太鼓の表面に塗られます。)
鼓のように左右両面を叩けるようになっている太鼓をミラダングと言い、その歴史は過去2000年もさかのぼると言われています。パカワジュはそれから500年ほど経ってから作られ、その音質と演奏のスタイルは声楽と共に発展しました。豊かで充実した音色のパカワジュは長い間、独奏楽器としても協奏楽器としても、その際立つ存在感を放っていました。パカワジュからタブラの誕生は、誰かがパカワジュを間違って二つに割ってしまったのがきっかけだという話がありますが、そうではないでしょう。一般では、戦いに使われたティンパニと同様なドラムの系統であるナガラという太鼓が、二つの太鼓を並べて演奏する形のモデルになったと言われています。そしてダカルというナガラの半分ほどのサイズの太鼓が、ナガラの次に出てきた太鼓であると言われています。昔、人々は王様の前では座ることが出来なかったため、音楽家たちは立って演奏しなくてはならず、そのために更に小さく軽い太鼓を作ることが必要でした。そこでダカルが縮小され、今のタブラが出来たと言われています。体に演壇(水平な板のようなもの)をくくりつけ、その上にタブラを置いて立って演奏しているミュージシャンが、300年程前に描かれた絵の中に見受けられます。タブラに似た打楽器が、何千年も前に建てられたインドの寺院に彫られていますが、現在見られるタブラの形が大衆に受け入れられたのは、17世紀から18世紀のデリーの王朝時代であると言われています。
ウスタド・ザキア・フセインは「インドの歴史から見れば、タブラはどちらかと言うと若い楽器です。400年ほど前に創り出されましたから」と言っています。
タブラのテクニックとレパートリーを著しく発展させたことで、よく賞賛されているのはシダール・カン・ダーヒです。彼の子孫とその弟子たちが、タブラを通して北インドの文化に影響を与え、その影響は様々な地域へと広がっていきました。そうして数ある地域独特の演奏形態が発展しました。今日ではデリー、ルックナウ、ベナーズ、ファルカバッドとアジュララがその例であり、主なタブラのガラーナ(学校)がある地域です。もう一つ、6番目のスタイルである「プンジャブ・ガラナ」は現在で言うパキスタンにて独自の発展を遂げました。(ウスタド・ザキア・フセインと父親であるウスタド・アラ・ラカはその地域の出身です。)それぞれのガラーナが、地域独自の文化、エッセンス、特徴を伝統のスタイルに取り入れてい
タブラのお祖父さんにあたる太鼓をパカワジュと言います。それは両面を叩けるようになった樽のような太鼓で、小さい方の面が高音用、大きい方の面が低音用となっています。(演奏する度に、ゴブ(スやヒ)と言う練り粉が、太鼓の表面に塗られます。)
鼓のように左右両面を叩けるようになっている太鼓をミラダングと言い、その歴史は過去2000年もさかのぼると言われています。パカワジュはそれから500年ほど経ってから作られ、その音質と演奏のスタイルは声楽と共に発展しました。豊かで充実した音色のパカワジュは長い間、独奏楽器としても協奏楽器としても、その際立つ存在感を放っていました。パカワジュからタブラの誕生は、誰かがパカワジュを間違って二つに割ってしまったのがきっかけだという話がありますが、そうではないでしょう。一般では、戦いに使われたティンパニと同様なドラムの系統であるナガラという太鼓が、二つの太鼓を並べて演奏する形のモデルになったと言われています。そしてダカルというナガラの半分ほどのサイズの太鼓が、ナガラの次に出てきた太鼓であると言われています。昔、人々は王様の前では座ることが出来なかったため、音楽家たちは立って演奏しなくてはならず、そのために更に小さく軽い太鼓を作ることが必要でした。そこでダカルが縮小され、今のタブラが出来たと言われています。体に演壇(水平な板のようなもの)をくくりつけ、その上にタブラを置いて立って演奏しているミュージシャンが、300年程前に描かれた絵の中に見受けられます。タブラに似た打楽器が、何千年も前に建てられたインドの寺院に彫られていますが、現在見られるタブラの形が大衆に受け入れられたのは、17世紀から18世紀のデリーの王朝時代であると言われています。
ウスタド・ザキア・フセインは「インドの歴史から見れば、タブラはどちらかと言うと若い楽器です。400年ほど前に創り出されましたから」と言っています。
タブラのテクニックとレパートリーを著しく発展させたことで、よく賞賛されているのはシダール・カン・ダーヒです。彼の子孫とその弟子たちが、タブラを通して北インドの文化に影響を与え、その影響は様々な地域へと広がっていきました。そうして数ある地域独特の演奏形態が発展しました。今日ではデリー、ルックナウ、ベナーズ、ファルカバッドとアジュララがその例であり、主なタブラのガラーナ(学校)がある地域です。もう一つ、6番目のスタイルである「プンジャブ・ガラナ」は現在で言うパキスタンにて独自の発展を遂げました。(ウスタド・ザキア・フセインと父親であるウスタド・アラ・ラカはその地域の出身です。)それぞれのガラーナが、地域独自の文化、エッセンス、特徴を伝統のスタイルに取り入れてい










